
- 1896年
- 先代 石橋 伊三郎は、大和(奈良県磯城郡武蔵)より大阪へ出て、大和屋本陣(旅館)を創める。
- 1920年
- 現在の地にあった「宗栄湯」という店を買い取り、のちに、「かねよし旅館」となる大和屋分店を建てる。
- 1946年
- 大阪大空襲にて、大和屋本店と分店が焼失
- 1948年
- 営業再開
- 1952年
- 大阪観光株式会社を設立。 大和屋分店(かねよし旅館)は、大和屋本店と分社。
- 1956年
- この頃、電話が普及し始め、当時、「大和屋」という屋号が非常に多く混乱を避けるため、初代社長であった「兼吉(けんきち)」より、大和屋分店を「かねよし旅館」に名前を変え、現在に至る。

- 1615年
- 「大阪夏の陣」の最終決戦が行われる。
- 1623年
- 「大阪夏の陣」の後、戦後復興活動で道頓堀一帯が整えられる。そのとき、民政を担ったのが山口屋宗右衛門です。
- 1657年
- このころになると茶屋が軒を連ねだし、茶屋町として栄えてきだす。
- 1919年
- 大正時代になると貸座敷や茶屋などが増え、芸妓は、600人近くを数える。芝居をみて茶屋で遊ぶ人も多く、この当時、宗右衛門町は大阪の花街で一番の格式ある場所になる。
- 現在
- 料亭などの飲食店が建ち並び、食の大阪文化の一部をになっています。
宗右衛門町の名前は、道頓堀の開削に功績を残した山口屋宗右衛門にちなんで命名される。

- 1612年
- 安井道頓が東横堀川から木津川に通じる水路の工事に取りかかる。
- 1615年
- 「大阪夏の陣」の最終決戦がで行われる。
この時、道頓は戦死しましたが、しかし弟達がその跡を継ぎ、道頓堀川を完成させる。 - 現在
- 道頓堀は、今では、大阪”くいだおれ”の中心的な町で、大阪のシンボリックな造形物が多く見る事ができ、沢山の観光客で賑わっています。
大阪の繁華街の一つ、道頓堀の基礎を築いた人物。
道頓堀の名前は、道頓堀の開削者の安井道頓にちなんで命名される。





























